丹沢の鉱山跡を探る 13  丹沢だより438号 2007/2(稲郷鉱山・高松鉱山)

丹沢の鉱山跡を探る 13             

稲郷鉱山露頭


高松鉱山うずまった抗口



5.高松鉱山と稲郷鉱山 

 丹沢山塊では、よくマンガン鉱が産出していた。「丹沢だより428号」で述べた水無川の大日鉱山は、マンガン鉱の鉱山であった。今回探る高松鉱山(高松山鉱山と書くのは誤り)、稲郷鉱山は、ともに露天掘でマンガン鉱を産出していた。
 稲郷鉱山は、登山ガイドブックには、断片すら書かれていたことは無い。しかし高松鉱山のものと思われる作業の記事は、少しだが書かれている。昭和16年発行「丹沢山塊」ハイキングペンクラブ編 第六天-高松山‐八町の項目以下引用 之は虫澤への峠越えの主要路であるが、現在ある作業の爲、危險信號の出た場合は通行禁止となる。道は地圖通りジグザグを切って稍右寄りに登り着いたところは△568.9米、第六天の西鞍部である。引用終わり。この危険信号とは、たぶん露天掘の発破合図の事であろう。(八町は原文のまま)

写真内容:左・赤鉄鉱(高松産)、中・マンガン鉱(稲郷)、右・マンガン鉱(高松
     マンガンの含有率に比例して発泡度合が違う 高松産はマンガン含有率が高い

 今回は、マンガン鉱を探すため10%過酸化水素水を持参した。小学校の理科の実験で使った、オキシフルの濃い物と思っていただきたい。二酸化マンガンにオキシフルをかけると、オキシフルが分解して酸素の泡が出る。この反応を利用してマンガン鉱を鑑別しようという目論見である。マンガン鉱の形態は色々あるが、酸化物型が多いようであり、また酸化物でなくても表面が酸化されて微量の二酸化マンガンが出来ているはずである。微量の二酸化マンガンがあれば触媒作用で分解して、発泡するであろう。他の金属酸化物(鉄)でも、過酸化水素水は分解されるが、二酸化マンガンとでは桁違いに分解のスピードが遅い。事前の大日鉱山から採取した鉱物で実験したところ、さかんに発泡した。他の鉱物(赤鉄鉱・マンガン鉱と色が似ている)は、発泡はチョロチョロであった。さて準備は万端である。

「稲郷鉱山」寄から徒歩40分 場所:稲郷沢入口から500m

場 所は、稲郷にあり露天掘で採掘されていた。と言われている。日本鉱産誌によると位置は、寄村稲郷にあり地質および鉱床は、御坂層中の凝灰角礫岩を母岩とする鉱床で品位はマンガン5.7%以下、マンガン含有率の低い珪酸(珪質)マンガン鉱が取れていたようだ。鉱区一覧でそれらしき地名を探してみると、大正8~10年にかけて小長井幸太郎氏が試掘登録番号34、42、43、51で松田町、川、寄でマンガンの試掘を行っていた。その後、昭和に入っても試掘登録がされてないところを見ると、マンガンの含有率が低いため忘れ去られたのであろう。鉱区一覧によると「松田町、川、寄」の地名でマンガン試掘が出ているのは、一箇所しかなかったので、たぶんこれが稲郷鉱山だ。

 別の情報では鉱山は、川又の左岸の沢で入口から500~600mくらい入った右岸の崖に長さ40mにわたって露出しているとのこと。鉱脈も安定し探鉱を実施するに充分の鉱量を有するものと思われるが、マンガン含量が低いとのこと。地図上でそれらしき場所を探してみると寄大橋の下流で川が合流(川又)しており、その手前に2本の沢がある。1本目は、荒井沢で長さは1kmもない。直ぐに上流部は林道をくぐり、山肌に突き上げている。もう1本は稲郷沢であった。稲郷沢の古い遡行記録や「丹沢の山と谷」、「丹沢の谷110ルート」を読んでも、当然のことながら鉱山・露頭などのことは書かれていない。露頭までの距離は500~600mなので、多分稲郷沢だろうと見当をつけて入溪してみた。
 河原の転石を見るとなにやら、赤褐色の石が混ざっている。可能性は高そうだ。沢筋は非常に汚く、ゴミの不法投棄がされている。右岸を見上げると、猪避けの柵が張り巡らされているので、上部には畑があるのだろう。堰堤を2つ越して石積の堰堤まで進むと、右岸に褐色の岩石(ココアが固まったような)の露頭があった。さらに左岸には、土管色(レンガ色)の岩石の露頭もある。早速 過酸化水素水を振り掛けてみると盛んに発泡する。多分ここが稲郷鉱山(高度は380m付近)であろう。林道からも近いし上部には畑などもあり、運搬に適した場所である。さらに遡行を続け林道をくぐり、稲郷の奥壁と言われている場所まで行ったが、マンガン鉱の露頭は、入口近くのあの場所しか無かった。

「高松鉱山」山北から徒歩1時間20分 場所:尺里峠に向かう道路横 

 高松鉱山も露天掘で採掘されていたと言われている。お手軽ハイキングコースとして有名な高松山のビリ堂には、ビリ堂周辺に関しての説明板が立てられている。その中にマンガン鉱の説明があった。以下引用 東南方面の天狗沢は、昔からマンガン鉱の宝庫であり、神縄断層の一部となっている。引用終り。山北町森林基本図では、天狗沢と呼ばれている沢はあるが、この位置はエアリアマップ丹沢では大岩沢を示している。エアリアマップ丹沢で観音沢と呼ばれている沢は、森林基本図では東沢となっておりビリ堂の東斜面にあたる。

さて、これら沢筋には、マンガン鉱の露頭があるかもしれない。しかし、高松鉱山は、これら沢沿いには無い。鉱区一覧によると高松鉱山の初出は、昭和15年(1940年)試掘登録175号で松永林太郎氏が登録している。前述の危険作業が行なわれていた時期と一致する。鉱種は、金・銀・銅・鉛・鉄・マンガン・硫化鉄であった。その後昭和16年(1941年)中野貞吉氏が同じ試登番号で登録し直し、終戦後の昭和24年(1949)再度 松永林太郎氏が登録した。その後、昭和28年試掘登録306号で岡山勝次郎氏が同一の試掘面積で登録したようだ。日本鉱産誌によると、御坂層中の凝灰角礫岩を母岩とする鉱床で、酸化マンガン鉱を主体としてマンガン含有率10%程度のものだったそうである。盛谷氏によると以下引用 ピリドクシナを含む石灰岩の間に膠着した酸化マンガン鉱であった。石灰石は粗粒砂岩層の中にレンズ状に挟まれるもので、マンガンはこれに層状をなして伴うものと思われ、おそらく成因的には海底沈降鉱床と考えられる。その産状は伊豆半島松崎付近に分布する、白浜層群基底部の円礫岩に伴う層状マンガン鉱床に似ている。引用終わり。皆瀬川から高松山にかけては、化石が多く産出される地域であり海底からの隆起により、この付近が形成されたことを物語っている。はたして高松鉱山は、どこにあったのであろう?盛谷氏は、残念ながら露頭には近づけなかったが、尺里から虫沢に抜ける道路の脇に鉱山はあるそうだ。

 ここを見つけられたのは、本当に何かの啓示だろうか?今もっても不思議な感じがする。今回 稲郷鉱山を探し終えてから、田代を経由して高松に向かった。どうした訳か尺里峠経由の道を選ばず、最明寺史跡公園経由の道に選び、途中 第六天・高松の分岐も最明寺方面を選んでしまった。最明寺方面に行く最後の送電鉄塔のところでわき道に入り、廃屋の横を通り過ぎてマムシ荒沢沿いに高松に向かった。途中右岸に稲郷鉱山と同じようなマンガン露頭らしきものを発見。過酸化水素水を注ぐと発泡する。マンガン露頭はこの周辺には結構あるようだが、残念ながらここは高松鉱山ではない。高松の集落を過ぎ、いよいよ尺里に下る九十九折に入る。途中まで下ると路肩には、なにやら金山草と言われているヘビノネゴザが群生している。このヘビノネゴザは、金属濃度が高いところに生える金属鉱床指標植物として経験的に知られている。道路脇は草木が生い茂り、とても踏み込む気がしない。しかし、また呼ぶ声が聞こえる。「こっちだよ!こっちだよー」えい、ままよ!草が生い茂った、如何にも入りたく無いような場所を掻き分け、倒木を乗り越えて行くと高松鉱山は、ぽっかり口を開けて待っていた。見つけた!(被害は、ダニの猛攻を受け刺し口が数十箇所であった)

へびのネコザ
                           
 露天掘というからには、採石場を思い浮かべていたのだが、そんな大規模なものでは無かった。奥には坑道も見られるが、天井部分まで土砂で埋まり隙間は20cmくらいしかない。けれども坑道は、かなり奥まで続いているようである。入口は、縦横2mくらいの大きさがあり、マンガン鉱の破片が周囲を埋めている。色からしてマンガン鉱であるが、念のため過酸化水素水を振り掛けてみると発泡する。しばし選鉱の時間。ふと見るとココア色のマンガン鉱に包まれた栗くらいの黒色の球体があった。大きさは直径2cm固い鉱物のようである。植物の種とは違う金属光沢があり重い。持ち帰り調べてみたら、なんとマンガンノジュール(マンガン団塊)らしい。末包氏らの報告では尺里北東の沢で酸化鉄ノジュールが採れたと報告されている。高松鉱山は、尺里の北東にあるが、沢筋ではないので末包氏らの報告場所とは違う。深海に沈んでいるはずのマンガンノジュールが高松鉱山でお目にかかれるとは考えてもみなかった。
 詳細は専門家の鑑定が必要だが、高松鉱山の成因から考えて海底堆積物で作られらたマンガンノジュールと見てよいだろう。マンガンノジュールは中心部分に核になる岩やサメの歯があり、その周囲を同心円にマンガン酸化物が取り囲んで数十万年から数百万年もかけて出来上がるそうである。そんなものが埋まっているとは知らなかった。最後の九十九折が終わったところにある沢は森林基本図では、手代尾沢といわれている。ここの沢筋にもマンガン鉱が露出している場所があるらしく、転石を拾うことができる。高松鉱山では赤鉄鉱も産出していたそうで、これも沢筋で見つけることができた。九十九折の途中にあるビリ堂の望むカーブに転がる大石2つもマンガンが含まれているらしく、過酸化水素水で発泡する。これから考えると高松山・第六天を含めたこの山域全体に、マンガン鉱は広く分布しているようである。(天狗沢にもあるだろう)

マ ンガン鉱は地味である。しかし最近新聞紙上をにぎわしたのは、モーツアルト生誕記念の昨年、新聞で紹介されたモーツアルト石だ。イタリアと日本でしか見つかっていないそうである。ブラウン鉱や紅簾石が産出されるところで見つかっているようなので、大日鉱山や高松鉱山で見つかるかもしれない。この項では、あえてこれら鉱山で見つかっているマンガン鉱の種類を述べなかったが実際種類が多く、判別も難しいため十把一絡げでマンガン鉱とした。鉱物通の人に言わせると「マンガン鉱は奥が深い」そうだ。


次回6 三保鉱山もしくは山北鉱山(はたして山北鉱山は見つかるか!)

参考文献(5)順不同

工業技術院地質調査所編,1954:日本鉱産誌1-c, 工業技術院地質調査所


森慎一ら,1984:自然と文化No.7,1-18,神奈川県内産の鉱物,平塚市立博物館  


加藤昭ら,1996:神奈川自然史誌資料17, 95-107,神奈川県産鉱物目録,神奈川県立生命の星・地球博物館


東京鉱山監督局管内 鉱区一覧(明治44~大正15年、昭和2~16、24、28、32、36、39、42、45年)


神奈川県,1948:資源調査報告書 34-50,神奈川県


神奈川県,1967:山北町森林基本図5千分の一地図 19-17,神奈川県


神奈川県,1967:松田町森林基本図5千分の一地図 6-2,神奈川県


平塚博物館,1999:「暮らしの中の鉱物-鉱物とその利用-」春期特別展展示解説書,平塚博物館


末包鉄郎ら,1978:日本鉱物学会年会講演要旨集,A-19 丹沢地域の鉄とマンガン酸化物,日本鉱物学会


平田大二ら,1992:Bulletin of the Kanagawa Prefectural Museum(Nat.Sci.) No.21,21-31,


神奈川県足柄郡山北町高松鉱山産含Mn2+ハンペリー石系鉱物,神奈川県立博物館


盛谷智之,1964:あかいし5,3-6,丹沢高松マンガン鉱床について,赤石団研機関紙


小林玻璃,1941:丹沢山塊-ハイキングペンクラブ編,登山とスキー社


Web モーツアルト石:http://www.ehime-u.ac.jp/whatsnew/1177/1177.html


   愛媛大学 理学部 皆川鉄雄助教授


加藤昭,1998:マンガン鉱物読本 鉱物読本シリーズNo.2,関東鉱物同好会

コメント

このブログの人気の投稿

丹沢の鉱山跡を探る 14  丹沢だより438号 2007/3 (三保鉱山)

丹沢の鉱山跡を探る 丹沢鉱山(丹沢 東沢 鉱山跡) 再訪