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丹沢の導水トンネル(玄倉第一発電所)を探る(国土地理院の地図位置は間違い) 追記あり

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国土地理院2万5千図、5万図の導水トンネルの地図位置は間違いの可能性大 追記あり 国土地理院の地図修正されていた。 国土地理院の地図 青点線が玄倉第一発電所の導水路 玄倉川と直角に導水している   沈砂池と導水トンネル 導水トンネルは直角で交わるのではなく若干玄倉川に沿った形でトンネルになっている 玄倉川側から見た沈砂池とコンクリ擁壁の角度 右が導水トンネルの位置 ダム左側の空間に取り入れ口の塵埃除去用の格子がある 左の水門は導水トンネル用のものではない 導水トンネル出口 水深は100㎝位 三脚を使いセルフタイマーで撮影 トンネル内の湧水が溜まっている模様 出口側 導水トンネルは高さ1.6m 2/3位の埋まり方 設計当時の資料を見ると 上部水槽の標高は584m 取り入れ口は585m 1/1500の勾配で長さ3280m  導水トンネルほとんど水平なら取水口にも同等の水位が有るはずである(パスカルの原理・水盛)が取り入れ口には水は無い。1/1500の勾配があるので上部水槽の導水管水位1.1mから計算すると以下の計算となる。 計算サイト(カシオが運営) で計算

丹沢のタギリを探る(再開拓期)

  西丹沢の小川谷左岸に「タギリ」と呼ばれるV字キレットある。今では丹沢一のバリエーションルートとして一般化されてしているが、その昔 吉田喜久治氏が通過して本で紹介されていた。現在でも古本で購入できる本の名前は「丹澤記」回想六十年沢登り賛、山名考(1983年発行)である。丹沢フリークならば、是非とも手に入れて読んで頂きたい。 大タギリが出てくる章は、pp.27 ドーカク沢、「ドーカク尾根」の部分   この部分に現在 敷地山下の作業道入口に掲げられている「ドーカク尾根」説明文の内容が書かれている。以下引用 ドーカク尾根とは東沢打越(乗越)、モチコシノ沢ノ頭、丈量小屋沢ノ頭(女郎小屋沢ノ頭)、大タギレ、小タギレ、芋ノ沢頭とのび小川のドウに至る尾根の、吉私(吉田喜久治)だけの便宜称である。引用終わり(原文そのまま)  ここで出てくる小川は、小川谷のことを差す。小川も合流点あたりの別称で中ノ沢が正称ではないかと言っている。仲ノ沢林道は、実は中ノ沢林道の読み違いの可能性がある。玄倉川本流が大川に対する小川。中ノ沢とは玄倉川と中川の中間を言う。ともある。pp.234 大タギリが出てくる章は、pp.83 小タギリ、大タギリ   ドーカク尾根を通して山行 1948年11月これが初踏破らしい(吉田喜久治翁曰く)  次に見つけたのは、鈴木澄雄著「心が豊かになる山歩き術」(1997年発行)のんぼー山歩きのすすめ  pp.103 「登れなかった尾根」 吉田喜久治の「丹澤記」を引用 丹沢の尾根では随一の難コースとある。 最初は同角の頭から東沢乗越までで時間切れ、次は敷地山出合から芋の沢頭を通り大タギリに到達。下まで降りたが、対岸を登り返すことができなく、元来た道を戻っている。 その後 丹沢自然保護協会員が鈴木澄雄氏をリーダーにして通過している。もちろんロープ使用 全員が通過して玄倉林道に着いたころは夕方になっていたそうである。(丹沢自然保護協会誌に掲載あり)  Webで最初に紹介したのは、マシラのページのマシラさんだった。その当時は、残置ロープもなく、まっさらな状態 状況は以下のURLを参照 大杉沢から丹沢一番の難路へ  2003/10/31( 今から19年前) それ以前に通過した山岳会、個人もあるかもしれないが会報を調べることはしていない。 2003年当時のことである。そのころはヤマレコや

丹沢の蛭を探る 吸血実験 その二 蛭の子供が生まれた。

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  丹沢 寄で地図の読図研修会に参加。 1日目は平穏に終了。2日目は、朝から大雨 11時ごろ雨が上がったので、読図講習会開始 最初は道なき道を二万五千図で移動。沢筋から獣道に入り尾根に上がるコース取り。  ところが入った獣道にはヒル柱が立つ位 うじゃうじゃ蛭がいる。私は、ズボンの下にタイツ。スパッツを装着。靴とスパッツ間にヤマヒルファイター散布、ついでに靴とスパッツにも散布。対策してないほかの人は、悲鳴を上げながら蛭退治。  スピードを上げて緊急退避で藪漕ぎで尾根に直上して、全員で蛭確認。林道に出たところで再度確認。血だらけの人多数のため講習会は中止して出発地点に戻り、スパッツを取ったら蛭がうじゃうじゃ、サンプル管に採取した。私は吸血の被害はその時は無し。その後 座学で読図講習会再開。  講習会が終わって着替えていたら、首筋に何やら違和感。丸々血を吸った蛭3匹がぽとりと畳に落ちる。首筋3ケ所をやられていた。きっと藪漕ぎの際に上から蛭が落ちてきて首筋に吸着した様子。 回収した蛭 底の大きいのと壁に張り付いている2匹が吸血蛭 残りはスパッツについていたもの このまま、瓶で保管していたら、一番大きい蛭ともう1匹元気な蛭以外死滅  蛭飼育箱を作って2匹を飼育していたら、大きい方が卵を産んだようで蛭が生まれた。 本体は死滅(溶解)している。 赤丸内が蛭の親 溶解している 周りの壁についているのが血を分けた兄弟 長さ3㎜位 拡大 さらに拡大 口と肛門がある もう一匹の蛭 成長するとこの形

丹沢の鉱山跡を探る 丹沢鉱山(東沢)周辺の調査

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  丹沢鉱山は、トロッコの線路まで引かれた大きな鉱山であった。掘り出した鉱石は日立鉱山に送って精練していたようだが、鉱石の運び出しはどのように行っていたのか疑問があった。  中の沢径路を通じて人力で運んでいたのか?一説には索道が玄倉林道 女郎小屋沢出合まであった。とか言われている。対面の尾根筋の調査が必要。遺留物 例えば鋼ロープなどあれば確定。  丹沢鉱山は、過去に登れていた正面斜面が現在崩れており脇の涸沢を登って入ることができる。鉱山の内部構造は、坑道は左カーブしており途中分岐(最終的には分岐部はループになっており本坑道に繋がる)しており、坑道最奥の崩壊部をよじ登って大伽藍に繋がる。大伽藍の天井部は高く、一部天井部が落盤している。  この左カーブの坑道の先 先の涸沢の沢床下部に当たるので涸沢を含めて鉱山に関係あるものがあるか調査した。 YAMAPの軌跡上カメラマークが丹沢鉱山位置と涸沢の試掘跡 下カメラマークが丹沢鉱山と同高度まで登った一 まずは対岸の沢筋 丹沢鉱山の対岸にある沢の入口 丹沢鉱山と同高度まで登る 遺留物はない。やはり尾根に上らなければ判明しない。 丹沢鉱山と同高度 丹沢鉱山方向を俯瞰     丹沢鉱山 トロッコレールと丹沢鉱山坑口 おなじみ丹沢鉱山 坑口 大伽藍 上部 涸沢 涸沢の左岸にある試掘跡 掘ってみる価値はありそう 丹沢鉱山上部に位置する  涸沢を渡り対岸の丹沢鉱山と同高度及びその上下を調べたが鉱山跡に関する物は無かった(試掘跡等)  丹沢鉱山を過ぎたところの東沢の崩壊地 右岸から銅を含んだ転石があるので鉱脈が走っているようだ。(標高980m地点)

丹沢の廃鉱山を探る 各種廃鉱山の坑口

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 今まで巡った各種廃鉱山の坑口をUpします。 東丹沢 ツキノワクマがいた鉱山跡 大日鉱山 試掘跡 玄倉川流域の鉱山跡 おなじみ大日鉱山跡 白石沢 鉱山跡 玄倉川流域 鉱山跡 世附川 山北鉱山跡 2006年再発見当時の丹沢鉱山跡 モチコシ鉱山 第一坑道跡 大日鉱山跡 第二坑道 金山沢 鉱山跡 第一坑道 金山沢 鉱山跡 第二坑道 モチコシ鉱山 試掘跡 モチコシ鉱山跡 第二坑道 東丹沢 仏果山付近の鉱山跡 東丹沢 仏果山付近の鉱山跡 東丹沢 仏果山付近の鉱山跡 木が倒れている根本付近 丹沢鉱山周辺の試掘跡

丹沢の水力発電所を探る 玄倉第一発電所送水管と上部水槽・途中にある前孫佛様 再訪

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 玄倉第一発電所送水管と上部水槽・途中にある前孫佛様 再訪 丹沢の水力発電所を探る 2 玄倉第一発電所  8年ぶりの上部水槽・前孫佛様 再訪問 ポストの脇を登る 玄倉八幡神社の裏から山道が続く ここを登る 玄倉八幡神社 奥社 ここで道を間違えて直進してしまった。 本来は、もっと高度を上げてトラバースすべきだった。 深いガリーにぶつかり、お助け紐でやっとクリア 送水管が見え始める 送水管に行くまで再度の急斜面 送水管にたどり着き、下方を眺める。発電所建屋が見える 前孫佛様の位置よりかなり下方で送水管に沿って階段を登る