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丹沢の鉱山跡を探る  資料編 鉱区 一覧

国会図書館・都立中央図書館・経済産業省・神奈川県立図書館等で 調査した神奈川県鉱区一覧年度別にまとめてをGoogleドキュメントにUpしました。 鉱区一覧年代別 https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=explorer&chrome=true&srcid=0B2ugjz7P0aVvZDNiYjdjMzctMWM1Yy00NGFiLTgxZDUtMWIyYzFmNDUzZmU5&hl=ja&authkey=CN-z6PQL 鉱区一覧面積ソート坪・アール・登録者名寄せ https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=explorer&chrome=true&srcid=0B2ugjz7P0aVvYWZkMWJjMTAtN2E2My00ZmNjLWJhYTEtZjMyODlkYzhkYWY0&hl=ja&authkey=CNne9mU 鉱区一覧ソート試掘・採掘・登録者名寄せ https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=explorer&chrome=true&srcid=0B2ugjz7P0aVvYmM4OThkY2ItNDY2Zi00NTlkLWExMmItMTcxNzNhMDNlMWEw&hl=ja&authkey=CLbCqr0K 一部ソートを行い分類してます。 鉱区の面積は戦前は坪、戦後はアールになっています。 このように神奈川県では、明治44年から昭和45年まで重複を含めて289件 ほどの登録がありました。しかしこの鉱区一覧から場所を特定するのは、 鉱区謄本原簿が無くなっている今、無理でしょう。 辛うじて紹介できたのが 「丹沢の鉱山跡を探る」に記載された場所になります。昭和45年以降の鉱区 一覧は調査しておりません。 東京鉱山監督局管内 鉱区一覧(明治 44 ~大正 15 年、昭和 2 ~ 16 、 24 、 28 、 32 、 36 、 39 、 42 、 45 年)

丹沢の鉱山跡を探る エピローグ 18  丹沢だより443号 2007/7

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丹沢の鉱山跡を探る 18              10.エピローグ   丹沢のことをもっと知りたい!と丹沢関係の書籍を以前から買い集めていた。それらの、古い丹沢開拓期の本を読むと現在との違いも判り、はたして今どうなっているかを探りたくなった。最初は、前尊仏様を取り上げてみた。結構うまく調べられて、実際の玄倉 前尊仏様・塔ノ岳の尊仏岩跡にもお目にかかれることができた。次は何を調べようかと考えた先に、丹沢の鉱山があった。しかし鉱山の稼動は、自然破壊の最たるものである。  母なる大地を穿つ穴。古くは足尾銅山の鉱毒事件などがある。はたして自然保護協会誌に投稿して良いものだろかと迷った。しかしながら、鉱物の恩恵を我々がこうむっていることは確かだし、まだ、だれも手を付けてない事項でもある。深山の奥に打ち捨てられた廃坑があることなぞ、ちょっぴりロマンを感じてしまう。迷った理由はもう一つあり、実際に探し出すことができるかが判らなかった。地質学など手に染めたこともなく、ゼロからの出発であった。Webで情報を収集すると神奈川県は、鉱山の空白地帯ということで、鉱山は無いと言うのがもっぱらの見解だった。  最初の鉱山(渋沢・大日・砥石)は、お馴染であったので簡単に探れた。当初は、この三箇所で終わりにするはずであった。東沢の信玄金山の跡については、伝承であろうと信じてはいなかった。この過程で平塚博物館発行「自然と文化」の神奈川県内産の鉱物の記事にぶつかった。ここには丹沢の鉱山が10箇所紹介されていた。「丹沢にも鉱山があったんだ!」と言うのが当初の認識だった。  なかなか見つけられなかったのが、玄倉・東沢源頭部の丹沢鉱山(信玄時代の金山と言われていた)だった。これを探し当てた途端、その後は、向こうから呼びかけてくるようになった。坑道に潜んで待ち構えていた何かが、取り憑いたのか?「こっちだよー、こっちだよー」とあったと言われている場所に近づくと、吸い寄せられるように見つかった。とうとう鉱産誌のバイブル・日本鉱産誌に書かれていた丹沢の鉱山と、それを引用して書かれた平塚博物館が刊行している「自然と文化」に網羅されていた丹沢の鉱山を全て探ることができた。また玄倉銅山と思われる坑道も見つけられた。そして金山澤鉱山は、奥野氏からの情報で調べることができた。  丹沢の地形・地質は、第三紀中新世...

丹沢の鉱山跡を探る  17  丹沢だより442号 2007/6( 金山澤鉱山)

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丹沢の鉱山跡を探る 17                                 金山澤 第一坑口             9.金山澤鉱山(ここだよ!と呼ぶ声が聞こえる)  この連載を始めてから、しばらく経って奥野幸道氏から叱咤激励のお手紙を戴き、止むに止まれなくなりました。今回 世附流域を調べる旨、お知らせしたら重要なキーが記載された文献を戴きました。この項は、その文献によって糸口がほぐれたものです。その文献とは、山と渓谷64号 昭和15年p114清水長輝 丹澤・菰釣山附近です。以下引用  鑛山跡 山神峰の下で分岐して水ノ木へ下る山伏徑路は、すぐ下で親不知と云はれる危い棧道になるので、近時菰釣寄りの尾根を少し迂回するやうにつけられた。徑路を僅か下ると次の一二二〇米圏峰との鞍部は大楢と呼ばれて、今は炭焼がはいつてゐる。恰度ここから眞西にあたって金山澤の一一〇〇米あたりに坑の跡があるらしい。徳川中期頃から銅を堀つたやうで、明治中頃までは澤に面して石臼の残骸が列んでゐたさうだ。日露戦争の頃鐵板や何かかつぎ出して賣つたと云う話も残ってゐる。 引用終わり どうやら これは金山澤鉱山らしい…… 「金山澤鉱山」浅瀬入口から徒歩5時間30分 場所:金山沢沖ビリ沢付近の支流   国会図書館の近代デジタルライブラリーで「鉱区」で検索すると明治44年1月1日発行東京鉱山監督署管内鉱区一覧の内容がWebから読める。神奈川県丹沢での採掘場所は、世附・金山沢で鉱山名は金山澤鉱山であった。鉱種は銀と銅で登録されており、試掘では無く本格的に採掘された鉱山であった。登録者は長田勝光氏で明治44年から大正6年まで登録されている。明治44年以前の鉱区一覧は見つけることができなかったが、それ以前から採掘されていたようだ。これについては後で述べる。また長田氏は、南都留郡在住なので山梨県側からの入山であろう。場所は、地名から察すると水ノ木から入る金山沢に違いない。  奥野氏から戴いた文献もこの辺りを示唆している。この鉱山は、日本鉱産誌や平塚博物館「自然と文化」には書かれていない鉱山であった。別の資料では、水の木休泊所より山伏峠へ約1.5km金山沢を遡行し右岸に硫化鉄鉱を含む千枚岩質粘板岩の露頭があるとのこと。硫化鉄鉱があると言うことは「焼け」があることを示す。神奈川県自然...

丹沢の鉱山跡を探る  16  丹沢だより441号 2007/5(鎌田鉱山)

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丹沢の鉱山跡を探る 16              8.鎌田鉱山(はたして金はあったのか?)             コンクリートブロックで塞がれた鎌田鉱山抗口全貌                               ふさがれている鎌田鉱山上部の隙間から覗く    わずかな隙間からカメラを差し入れた焼けの兆候の岩石が転がる           明治24年発行二万分の一山伏峠の山神様付近 昭和4年御正体山に出てくる山神様記号 奥野CDより鉱山部分の抜粋 「鎌田鉱山」浅瀬入口から徒歩2時間30分 場所:水ノ木下流・山神沢出合  場所は、山神沢出合付近にあると言われている。山神沢は、山神峠から悪沢に方面に流れる沢が地図上に明記されている。しかし、この山神沢は山神峠から水ノ木下流の世附川方面に流れ込む沢である。この山神沢上流へ辿ると、山神様に出逢える。昭和7年発行二万五千分の一地図御正体山には神社記号が示されているので、昔は有名な存在だったのであろう。また明治24年発行の二万分の一地図山伏峠には、悪沢からこの峠を通り、水ノ木までの経路が示されている。(しかし神社記号は無い)昭和10年発行の山と渓谷33号特集富士山と繞る低山 水ノ木澤から菰釣シ山 加藤秀雄によると以下引用 亦古く甲相の聯路であったとも傳へ現在の廣河原から水ノ木へ至る道はそう古いものではなく、その以前は峰坂峠(柳島峠)と世附峠の中間、アシ澤峠を降りワラ澤を溯り山神に出て西腹を捲いて行った。今僅かに俤を止めるのみで全くの廢道となつてゐるがこれを横引横道と云った。折り口は丸高の下手邊で道が蛇行してついてゐるから織戸、或は折戸と當てらる地名がの殘つて居る譯である。 引用終わり 次回の金山澤鉱山が採掘されていた時期は、明治から大正にかけてなのでこの経路を使って物資が運ばれていたのだろうか?  横浜山岳会編「丹沢」には以下引用 浅瀬から暫く行くと軌道は一度右岸に移って、対岸に悪沢部落や植林の苗畠などを見ながら行き、再び左岸に渡りかえして広河原に着く。営林署の小屋のあるところで軌道はジグザクに高見へ上がって行く。左下に土沢の合流するのを見る。軌道は本流について登って行く。はるか左下に淙々たる流れを見ながら山腹を搦む軌道を辿る。やがて右側に鎌田鉱山の家が二、...

丹沢の鉱山跡を探る 15 丹沢だより440号 2007/4(山北鉱山)

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丹沢の鉱山跡を探る 15  丹沢だより440号  2007/4                                       山北鉱山抗口                       山北鉱山内部(露天掘りに近い)                            これから続く、三連載は2007年3月17~18日世附地区を探索した時の記録である。奥野幸道氏から紹介された文献及び「丹沢今昔」、佐藤芝明氏の三部作により鉱山跡を探る糸口を見つけることができた。その鉱山とは、山北鉱山、鎌田鉱山、金山澤鉱山である。 7.山北鉱山  「山北鉱山」浅瀬入口から徒歩2時間30分 場所:広河原付近   資料によると、世附の奥 広河原の浅瀬刑務所付近に鉱物の露頭があるとのこと。どうやら、その場所が山北鉱山らしい。目標は、浅瀬刑務所だが丹沢に刑務所があったことなど聞いたことも無く、またこの情報には、浅瀬と広河原の両地名の混同もある。そして山北町史なども調べてみたが、書かれていなかったので、初めは間違いだろうと思っていた。しかし丹沢の今昔と言えば「丹沢今昔」。早速調べると、「丹沢今昔」余話になんと受刑者が炭焼きを行なっていたことが書かれていた。実際は刑務所では無く、構外作業のための三保製炭作業所が置かれていた。以下引用 昭和20年9月初め、横浜刑務所拘置監は戦犯等収容のため連合軍に接収され……過剰拘禁の解消、不就労者の解消、食料・生活資材の自給等を目的とする構外作業が積極的に行なわれ、当初においても昭和20年代始めから、泊込三箇所(箱根農場、三保製炭作業所、浦賀漁労隊)、通役一箇所の構外作業に受刑者を従事させた。 引用終わり。奥野氏は、「丹沢今昔」の取材で世附川を遡ったおり、この作業所跡を探したが、悪沢付近ではないか?との見当をつけたのに留まった。現在 悪沢出合には廃屋(三保山荘)がある。  世の中には、色々な図書館がある。犯罪者・非行少年の処遇や、犯罪の予防に関わる分野を中心にした、刑事政策・矯正に関しての専門図書館(矯正図書館)を見つけた。Webから検索することも可能で、奥野氏が参照された横浜刑務所落成記念誌も所蔵されていた。さらに検索をかけると竣工50年史が見つかった。早速調べてみると、以下引用 横浜刑務所の構外作業 昭和22年4月10日...

丹沢の鉱山跡を探る 14  丹沢だより438号 2007/3 (三保鉱山)

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丹沢の鉱山跡を探る 14                                      ベスブ石の集積された穴 ベスブ石の集積 珪ニッケル石か? 三保鉱山があったといわれる看板付近 磁鉄鉱の鉱石か?                                                                                 6.三保鉱山  「三保鉱山」西丹沢自然教室から徒歩1時間30分 場所:白石滝下流左岸?  場所は、白石沢にあると言われている。白石沢は、変成岩や大理石の産出などで有名だ。また学術的に興味ある変成鉱物が色々産出されており、一部の鉱物は神奈川県の天然記念物に指定されている。そして神奈川県における鉱物の宝庫と言われている。 どうやらこの同じ場所に鉄鉱が産出していたようだ。1964年発行の丹沢大山学術調査報告書第1部丹沢山塊の地質p43,2鉱物(1)白石沢、ザレの沢 図1・17(ロ)には鉄鉱の旧坑があるとされている。雑誌「地学の友」には、中学生の生徒作品として父親に連れられて鉱物採集に行った作文があった。これによると鉱物産地への案内役は、箒沢の佐藤浅次郎氏であったそうだ。奥野氏の「丹沢今昔」や「丹沢だより」の記事で「浅じい」として親しみを込めて呼ばれていた丹沢の生き字引であった人である。以下引用 二ヶ所...

丹沢の鉱山跡を探る 13  丹沢だより438号 2007/2(稲郷鉱山・高松鉱山)

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丹沢の鉱山跡を探る 13              稲郷鉱山露頭 高松鉱山うずまった抗口 5.高松鉱山と稲郷鉱山   丹沢山塊では、よくマンガン鉱が産出していた。「丹沢だより428号」で述べた水無川の大日鉱山は、マンガン鉱の鉱山であった。今回探る高松鉱山(高松山鉱山と書くのは誤り)、稲郷鉱山は、ともに露天掘でマンガン鉱を産出していた。  稲郷鉱山は、登山ガイドブックには、断片すら書かれていたことは無い。しかし高松鉱山のものと思われる作業の記事は、少しだが書かれている。昭和16年発行「丹沢山塊」ハイキングペンクラブ編 第六天-高松山‐八町の項目以下引用 之は虫澤への峠越えの主要路であるが、現在ある作業の爲、危險信號の出た場合は通行禁止となる。道は地圖通りジグザグを切って稍右寄りに登り着いたところは△568.9米、第六天の西鞍部である。引用終わり。この危険信号とは、たぶん露天掘の発破合図の事であろう。(八町は原文のまま) 写真内容:左・赤鉄鉱(高松産)、中・マンガン鉱(稲郷)、右・マンガン鉱(高松      マンガンの含有率に比例して発泡度合が違う 高松産はマンガン含有率が高い  今回は、マンガン鉱を探すため10%過酸化水素水を持参した。小学校の理科の実験で使った、オキシフルの濃い物と思っていただきたい。二酸化マンガンにオキシフルをかけると、オキシフルが分解して酸素の泡が出る。この反応を利用してマンガン鉱を鑑別しようという目論見である。マンガン鉱の形態は色々あるが、酸化物型が多いようであり、また酸化物でなくても表面が酸化されて微量の二酸化マンガンが出来ているはずである。微量の二酸化マンガンがあれば触媒作用で分解して、発泡するであろう。他の金属酸化物(鉄)でも、過酸化水素水は分解されるが、二酸化マンガンとでは桁違いに分解のスピードが遅い。事前の大日鉱山から採取した鉱物で実験したところ、さかんに発泡した。他の鉱物(赤鉄鉱・マンガン鉱と色が似ている)は、発泡はチョロチョロであった。さて準備は万端である。 「稲郷鉱山」寄から徒歩40分 場所:稲郷沢入口から500m 場 所は、稲郷にあり露天掘で採掘されていた。と言われている。日本鉱産誌によると位置は、寄村稲郷にあり地質および鉱床は、御坂層中の凝灰角礫岩を母岩とする鉱床で品位はマンガン5.7%以...