丹沢の鉱山跡を探る 14  丹沢だより438号 2007/3 (三保鉱山)

丹沢の鉱山跡を探る 14             

                       
ベスブ石の集積された穴



ベスブ石の集積

珪ニッケル石か?

三保鉱山があったといわれる看板付近

磁鉄鉱の鉱石か?
                                                                               

6.三保鉱山 

「三保鉱山」西丹沢自然教室から徒歩1時間30分 場所:白石滝下流左岸?

 場所は、白石沢にあると言われている。白石沢は、変成岩や大理石の産出などで有名だ。また学術的に興味ある変成鉱物が色々産出されており、一部の鉱物は神奈川県の天然記念物に指定されている。そして神奈川県における鉱物の宝庫と言われている。

どうやらこの同じ場所に鉄鉱が産出していたようだ。1964年発行の丹沢大山学術調査報告書第1部丹沢山塊の地質p43,2鉱物(1)白石沢、ザレの沢 図1・17(ロ)には鉄鉱の旧坑があるとされている。雑誌「地学の友」には、中学生の生徒作品として父親に連れられて鉱物採集に行った作文があった。これによると鉱物産地への案内役は、箒沢の佐藤浅次郎氏であったそうだ。奥野氏の「丹沢今昔」や「丹沢だより」の記事で「浅じい」として親しみを込めて呼ばれていた丹沢の生き字引であった人である。以下引用 二ヶ所程大きな大理石の脈が露出している澤路を下ってから又細い山路にかかった。はるか下の方から瀧の音も聞こえて來た。約60メートル位降りると白石澤の舊産池へ達した。がこの産地も付近で鐵鑛が試掘され、その捨石のズリでほとんど埋まっていた。引用終わりこれによると沢筋では無く、だいぶ上の方に採掘場所はあったようだ。また山本氏の短報以下引用 昭和59年末、スカルン鉱物で知られる西丹沢の白石沢にある三保鉱山へ行ってみた。バスの終点のホーキ沢を過ぎ、自動車道路の終点白石沢キャンプ場から1km弱、幾つ目かの砂防ダムを越す地点で登山道のすぐ右側に、磁鉄鉱の貯鉱と鉄製バスケットが残されている。中略 対岸崖上の抗口は道も消えて到達できず、基の産状を知り得ないが…引用終わり。これによると登山道の対岸、すなわち右岸となるが、どうやら前述の2つとは違う場所のようだ。そして丹沢の情報と言えば「丹沢だより」創刊号まで辿ると「丹沢だより111号」の奥野氏の記事があった。神奈川県史取材記4中川川上流ザレノ沢と白石沢(菫青石・ベスプ石・大理石)以下引用 白石の大滝も前景の木が大きくなって、写真には都合が悪くなってしまった。登山道の右側に坑道が残っていたが、何時の間にか埋められてしまった。 引用終わり。
 これによると左岸に鉱山はあったが、どうやら坑道は埋められてしまったようだ。現在 白石沢は堰堤が階段のように作られている。山本氏が訪問した際の場所が不明であったが、白鳥氏の「丹沢だより293号」白石沢検証の詳細な報告も見つかったので、昭和59年当時の堰堤の位置は確認できる。これらの情報から、どうにか場所が特定できそうである。1953年の総理府資源調査報告書にも鉄鉱の項で神奈川県三保鉱山の名前が記されているので、あったことは確かだ。日本鉱産誌によると三保鉱山は、位置:足柄上郡三保村で山北駅の北25km、トラック5km徒歩20kmと言う場所にある。(徒歩20km!だったら道志に突き抜けてしまう)地質および鉱床は、御坂層と閃緑岩との接触鉱床であり鉱種は、磁鉄鉱で鉄の含有率は50%と有望であった。鉱区一覧でそれらしき地名を探してみても、三保、山北町としか書いて無く鉱区番号の特定はできなかった。磁鉄鉱は、読んで字の如く磁力を持つものもあるので、選鉱は簡単だろう。別の資料によると、この鉄鉱の露頭 べスブ石を主体とする燐灰石、珪灰石、黄色柘榴石、透輝石等を伴うスカルンを石英閃緑岩と石灰石との間に形成し、延長3m幅1m以下の磁鉄鉱を主体とする露頭で黄銅鉱、黄鉄鉱、孔雀石を伴っているとのこと。

 さて白石沢の反対側、道志にも道志鉱山があったそうだ。道志川流域の鉱物採掘は、この地域が横浜水道の水源地として指定されていたため古くから禁止されていた。白石沢でも大滝から上部は、大理石が露出している場所がある。同様に道志側でも大理石が露出した場所があり、この大理石を建物の装飾用に使用する採石場の申請がなされたそうである。幾度かの申請・却下が繰り返された。とうとう昭和29年内山知事が、この道志側の大理石採石場を含め道志と山北を結ぶ観光道路建設の視察との名目で、箒沢から白石沢を経て道志側へ徒歩で視察を行ない、道志の日野出屋旅館に宿泊したそうである。結局のところ政治的配慮か、道志側での大理石の採掘が認められたが、品位と採掘コストの問題で長くは続かなかった。この道志鉱山、そのほかに鉄鉱石やマンガンの産出もあった。石灰岩層が熱で変性を受け大理石になったため、この石灰岩層の外側ではスカルンが発達し鉄鉱及びマンガン鉱を伴う傾向があった。それ故 白石峠を挟んで鉱脈が道志側・白石沢側に分布していたようだ。奥野氏「丹沢だより71号」丹沢の地名・白石沢中で道志七里からの引用 室久保沢奥の山路を辿って県境尾根を乗越へ、箒沢に通うお茶煮のコシッパ路と、加入道山西面の山腹に湧くお茶煮の沢の源頭部、俗称「あしだごや」と呼ぶ地点に古くから俚人白石と呼ぶ美麗な石が露出していた。明治32年5月山梨県農業巡回技師細田栄次はこの鉱石が大理石であることを指摘して村民の喚起を煽ったのであった。引用終わり。登山者が入る前から白石峠は生活経路として存在していたし、大理石も探し出されていた。ちなみに明治25年発行の2万分の一地図 道志村にはこの経路は書かれていない。(犬越路はあった)

 まず三保鉱山を探す前に、西丹沢自然教室で岩石の学習をした。この連載を続け色々勉強したがどれも同じように見えるし、また違うようにも見える。まだ修行が足りないようだ。白石沢に行く途中には、神奈川県教育委員会が設置した、スカルン鉱物産地の由来を示した案内板があった。しかし案内板は朽ち果てて内容は判読不能であった。
 県の天然記念物として1980年2月に西丹沢の董青石、ベスブ石及び大理石が指定されている。せっかくの天然記念物、登山者には知られずに静かに眠っている。ザレノ沢出合から九十九折の登山道を辿って、あっという間に白石の大滝の案内板まで来てしまった。途中 高松鉱山で見かけた赤褐色の岩石が登山道に露出していたり、だれかが途中の道すがら採掘ハンマーで岩石(大理石)を叩いた跡があったり、地学巡検のメッカらしい雰囲気がある。この白石滝の杭がある場所、コロナ社地学ガイドによると足の下は、大理石で方解石の破片に混じって茶褐色の天然記念物べスブ石の結晶が見られたそうだが、乱獲されて見つからなくなったそうだ。天然記念物は当然の如く採集が禁止されているのだが、その旨が書かれた看板は見つからなかった。

 今回は、三保鉱山を探し、その後、山北鉱山を探すと言う目論見で、鉱山跡は当然見つかるもだと思って来たものの、そうは問屋が卸さない。「いつもの声」も聞こえず、うろうろ探し回るばかり。大滝の上にも行ってみたが、索道の主索であろう太い鋼製ロープしか見つからない。大滝の案内板のところには山の斜面に石垣があるところがあり、またその上は平坦な広場になっている部分があった。多分ここが三保鉱山に関係があった場所であろうか?奥野氏が言われるように埋もれてしまったようだ。今回の探した場所と山本氏の行った場所は、現地に来て地形を判断すると、どうやら違う場所のようだ。また丹沢大山学術調査報告書に書かれていた場所の引用元 加納氏の文献を調べると、あの滝の案内板がある場所ではなさそうである。詳細は、原本を参照して戴きたい。

 さてさて山北鉱山に向かう時間が無くなりかけ、二者択一の決断を迫られた。このままでは二兎を追うものは一兎をも得ず。の謂れ通りなってしまう。ザレノ沢と白石沢に挟まれた尾根を探し回り、体中ダニまみれになり、あきらめて一休みした。ふと足元を見ると青緑色の鉱物があるではないか!思わず頬ズリをしてしまった。孔雀石のようだが、今まで玄倉周辺で見つけた孔雀石・珪孔雀石とは母岩が違うようだ。
 白石沢では珪ニッケル鉱も産出したそうで、これは磁鉄鉱などに付着して産出し緑色を呈するそうである。早速磁石を近づけると吸い付く。母岩は磁鉄鉱のようだ。どうやらこれは珪ニッケル鉱のようだ。ただ周囲を見回しても鉱山跡などまったく無い。山北鉱山をあきらめた途端 勘が働きだしたようだ。いつもの山神様、かわいそうに思ったのか、今回は別のプレゼントを用意してくれていた。なんとそれは天然記念物であるベスブ石の大集積地であった。岩穴の奥に岩肌一面にベスブ石が花を咲いたように露出している。これはすばらしかった。同じ場所に珪灰石などのスカルン鉱物もあった。だいぶ以前に採掘されていたような跡があるが、ここが三保鉱山跡であろうか? それともべスブ岩の盗掘の跡であろうか?

 この白石沢。神奈川県の地学ハイキングの地として有名であり、各種ガイドブックが出版されているので、参考にされると良いだろう。

 後日談:家に帰り2日後、猛烈な痒さに襲われ背中を見ると全面にダニの虫刺されの跡、前回の高松鉱山では前面を刺されたが、その刺された跡も発疹となっている。家人には嫌がれるわ、医者にはびっくりされるやら散々な目にあった。どうやら山神様いたずら好きのようである。

次回7 山北鉱山 はたしてみつかるか?

参考文献(6)順不同

工業技術院地質調査所編,1954:日本鉱産誌1C,工業技術院地質調査所


森慎一ら,1984:自然と文化No.7 1-18, 神奈川県内産の鉱物,平塚市立博物館  


加藤昭ら,1996:神奈川自然史誌資料17 95-107, 神奈川県産鉱物目録,神奈川県立生命の星・地球博物館


東京鉱山監督局管内 鉱区一覧(明治44~大正15年、昭和2~16、24、28、32、36、39、42、45年)


神奈川県,1948:資源調査報告書34-50,神奈川県


神奈川県,1967:山北町森林基本図5千分の一地図 19-1神奈川県


加納博,1951:岩石鉱物鉱床学会誌Vol.35,No4 116-122,丹澤地産斜ヒューム石とその共生鉱物について


小出宏,1949-1950:地学の友(1),75-78神奈川県箒沢の採集記と箒沢の鉱物(1)


小出宏,1949-1950:地学の友(1),114-115神奈川県箒沢の採集記と箒沢の鉱物(2)


山本亮一,1985:鉱物情報,69 823, 短報 神奈川県三保鉱山 ,鉱物情報


奥野幸道,1975:丹沢だより71号,丹沢の地名 白石峠,丹沢自然保護協会


奥野幸道,1979:丹沢だより111号,中川川上流ザレノ沢と白石沢,丹沢自然保護協会


白鳥勝洋,1994:丹沢だより293号,白石沢検証,丹沢自然保護協会


見上敬三,1976:神奈川県文化財調査報告書37集,西丹沢白石沢・ザレの沢の菫青石と大理石,神奈川県


神奈川県編,1964:丹沢大山学術調査報告書,神奈川県


 Web:e-tanzawa Support 丹沢大山総合調査活動支援Web 資料室:基本資料室で全文がPDFで読めます。


 http://e-tanzawa.jp/contents/dl/support/info/basic-info/64gakujutsu-index.htm/ 第1部 丹沢山塊の地質参照

 
坂本達馬,1955:道志鉱山概要 大理石、石灰、鐵、滿俺,坂本達馬(自費出版)


総理府資源調査会事務局工業原料班編,1953:本邦鉄鉱山分布図,総理府資源調査会事務局工業原料班


地学ハイキングガイド(巡検)類


森慎一編,2005:ガイドブック22「地学ハイクへの誘い」,平塚博物館


夏期特別展,2003:身近な地学ハイキング,平塚博物館


神奈川県の自然を訪ねて編,2003:神奈川の自然を訪ねて,筑地書館


奥村清編,2003:神奈川県地学ガイド,コロナ社


草下英明,1988:鉱物採集フィールドガイド,草思社

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