玄倉の前尊仏様を探る その二 丹沢だより420号 2005/6


失われた尊仏様後
 前尊仏様の話しの前にすこし尊仏祭のお話をしましょう。今年は、5月8日が尊仏祭でした。(昔から尊仏祭は、5月15日でした。)現在では山北 岸の東光院が主催して今年で14回目を迎えたそうです。山伏姿の一行は、戸沢から登り行者ヶ岳に石仏を安置してから塔ノ岳に向かい頂上で祈祷を行ないました。登山者安全祈願の神仏混淆形式の護摩焚祈祷、二礼二拍一礼と般若心経が祈祷の内容でした。終了すると登山者に、この時だけに授けられる塔ノ岳登頂記念と書かれた安全祈願の御守護が授けられ、お下がりとして丹沢山の清酒がふるまわれました。あいにくの霧の中でしたが80名くらいの参拝者がおりました。東光院の住職にお聞きましたところ尊仏岩跡は、とても祈祷する場所も無く足場も悪いためお参りは行なったことがないそうです。


 さて現在の尊仏岩跡がどのようになっているでしょうか?場所の特定は、奥野幸道氏著「丹沢今昔」および、以前に紹介しました旧版地図 明治25年発行の陸測2万分の一図「塔嶽」を参考にしました。初回は、見つけられず今回 尊仏祭の際に是が非でも見つけるぞとの意気込みで1425m付近を探し回りました。尊仏様があった場所は、目立つ場所ではなく、また安置されている石仏も30cmくらいの小さいものでした。周辺には大岩があり、尊仏様と似た形の岩もあります。石仏が安置されていなければわかりません。「丹沢今昔」の写真と比べ全体が苔むしており写真では、尊佛の文字が読み取れます。しかし今は、苔で覆われ判読不可能です。またコイワザクラの可憐な花が群生しており霧がかかってとても幻想的な雰囲気の場所でした。せっかくの尊仏祭なのにだれも訪れる人も無く、ひっそりたたずんでおりました。まるで誰にも知られたくないから、そっとしといてくれと言わんばかりのように急にデジカメの調子が悪くなり数枚しか画像が撮れませんでした。

 新編相模風土記稿によりますと尊仏様は、「村東大住郡堺にあり、此山の中腹に土俗黒尊佛と唱うる大石あり、高五丈八尺許、其形座像の佛體に似たり、故に此稱あり、此山を他郷にては、尊佛山と唱う、土民の説に、旱魃の時、登山して此石に祈請し、雨を乞と云、又石上に生ずる苔を土人御衣と稱し瘧疾を煩う者あれば、是を取て煎じ用、必効驗あり」とあります。当初は特定の宗教にしばられることなく、周囲の村々に崇められていた立石奇岩 大昔の人は、どうやってこの尊仏様を見つけ出してきたのでしょうか?霊験あらたかな、この尊仏様 各村々で別々に崇拝されていたのが神社、寺院などの特定の宗教の信仰対象となり、時には訴訟騒ぎも持ち上がったため、かの大震災でお隠れになったのではないかと想像します。 現状の尊仏岩跡 道も無く周辺がガレていて危険な状態になりつつあります。このままひっそりとしておいた方がよろしいでしょう。 つづく

明治25年発行陸測2万分1地図 塔嶽に残る尊仏岩位置と周辺を囲む参拝路

コメント

このブログの人気の投稿

丹沢の鉱山跡を探る 14  丹沢だより438号 2007/3 (三保鉱山)

丹沢の鉱山跡を探る 丹沢鉱山(丹沢 東沢 鉱山跡) 再訪

丹沢の鉱山跡を探る 13  丹沢だより438号 2007/2(稲郷鉱山・高松鉱山)