玄倉の前尊仏様 その後 丹沢だより423号 2005/10

玄倉の前尊仏様 その後





                               

さてさて、5~7月号に掛けて「前尊仏様を見つけた。」と発表しても「本当にその岩塔が前尊仏様なの?独りよがりじゃないの!」と言われると根拠がありません。夏は、丹沢山行はお休みにしていますので、そのかわりに図書館に篭りもう少し調査をした結果を報告します。

神奈川県立図書館の郷土資料室で丹沢に関する資料を探しました。そして丹沢/大山総合調査報告書 神奈川県1964年発行の第5部文化景観 6.伝説p438に記載があることを見つけました。(写真はありません)以下一部引用

℮.前尊仏

この土地の人びとは玄倉川上流の川上にある山の中腹の大岩を前尊仏とよんで信仰していた。この岩も黒尊仏同様に岩上に登ると神罰てきめんといわれ、現在ここには川上の発電用放水管が敷かれているが、その工事の時にこの岩にハッパをかけたがあまりにも堅くてノミがきかず一部粉砕したのみで終わったのはその神罰の顕現であって、ハッパもはねとばしたのだと古老たちはいっている。引用終わり

「あれ??玄倉川の上流にも玄倉第二発電所があるなぁー。誤報してしまった!」と血の気が引きました。上流と言えば玄倉の先にあたりますし、確かに第二発電所もあります。 

いままで立てた仮説がガラガラと崩れ落ちました。しかし今一つ 発電所の放水管のそばと言うヒントが得られましたし、現物があったことは確かです。第二発電所の放水管は林道から全体を見ることができますが、それらしきものは、ありません。そこで別の切り口から調べ直すことにしました。玄倉の2つの発電所は、山間の秘密基地のような感じで前から調べて見たかった施設の一つです。多くの発電所には、工事史みたいなものが残されており、そちらの方面からも調査を進めました。玄倉にある発電所は、県営の発電所です。そこで神奈川県公文書館のホームページでキーワード「西丹沢 玄倉 発電所」で検索すると西丹沢の発電事業で資料が引っかかりました。(お陰でユーシンロッジ裏の水路橋や、同角沢を横断する水路が途中の堰堤の中を通っていることを知ることができました。)

「曰く因縁のある前尊仏岩ならきっと工事史に記載があるはずである」との期待を込めてワクワクしながら現物を公文書館に確かめに行ったところ、写真付で前尊仏様が工事写真にでていました。大当たりです。「部落の守護岩であるが、工事施工に伴い幾分けずられたが、まだ原型をとどめている。」との記述 前の丹沢/大山学術調査報告書の記述と一致しました。場所は、現在の玄倉第一発電所でした。私が撮影した写真には、大きな木が生えていましたが、その写真には、幼木がほっそりと生えていました。そして公文書館で資料の貸出手続きの待ち時間 ふと手に取った郷土史の本に、なんとまあ!! 前尊仏様のことが書かれているのを見つけました。川口謙二著「書かれない郷土史」 錦正社p59 塔ヶ岳の黒尊仏 これには、発電所ができる前の前尊仏様の写真が中腹にはっきりと見通せる形でありました。これで一安心 二重の裏がとれました。やはりあの岩 前尊仏様でした。それにしても公文書館で手に取った本 まるで「こっちだよ。もっと右 もうちょっと左 こっちだよ・・・・」と何かが心の中で囁いているように出遭いました。前尊仏様のお陰でしょうか?

この前尊仏様 爆破される前は、もっと大きかったのでしょう。ひょっとしたら新編相模風土記稿の調査員この村の近くの前尊仏様を見て書いたかもしれません。メインの尊仏様の参拝道は、大倉や横野が表口だった様子なのに尊仏様の記述が詳細に書かれているのは玄倉の項です。もし書かれるなら三廻村観音院の項や唐子明神の項に書かれても不思議はありません。大きさも玄倉にあった前尊仏様、爆破される前もっと大きかったとすると高五丈八尺許はあったかもしれません。が今となっては調べようもありません。 これでやっと胸のつかえが下りました。 本当に終わり

参考文献

「丹沢/大山総合調査報告書」 神奈川県、「玄倉発電事業の概要」 神奈川県

「書かれない郷土史」 川口謙二著 錦正社

白黒写真は、玄倉発電事業の概要から 神奈川県立公文書館の掲載許可取得済み

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