丹沢を探る/西丹沢・東沢(中川川)の尊仏岩 丹沢だよりNo.450 2008/3



                       
皆さんは、塔ノ岳の尊仏岩を本尊として周辺に前尊仏様が祭られているのをご存知だろうか?毎年、5月の第二日曜日に山北・東光院住職を導師様として塔ノ岳山頂で尊仏祭が執り行われている。しかし祭りの最中でも、本尊の尊仏岩跡はだれも訪れることなくひっそりと佇んでいるのである。

さて今回は、周辺にある前尊仏様(岩)について探ってみた。2005年丹沢だよりに玄倉の前尊仏様を探った連載をさせて頂いた。その時に、参考にした文献は、山と渓谷40号「丹澤・塔岳雑談」で坂本光雄氏が書かれたものである。さて文献には塔ノ岳を本尊として周辺の前尊仏様(1)について色々書かれている。しかしながら坂本氏は、中川川東沢の尊仏岩に関しては本来の塔ノ岳の尊仏様とは、違う関係ではないかとの見解だった。あの中川川東沢から、桧洞丸、蛭ヶ岳を越えて参拝に行くには、たしかに遠すぎる。それに知られている参拝道、東(三ノ塔)、西(玄倉)、南(大倉)、北(甲州口)にも当てはまらない。きっと別の目的で参拝されていた尊仏岩と似た立石があったのだろうと思う。手持ちの文献を探したら、さらに1件見つけた。それは、東京付近山の旅続編の玄倉川と箒杉澤の項目(2)にあった。最近は、Webからの検索で、発信されている情報を簡単に得ることができる。情報を引き出すキーワードと、その情報がどこにあるかを知っていれば、切り口を変えながら玉石混合の情報の海から得たい情報は得られる。しかし、それは調べた情報であり、自分のものではない。Webからの情報でもそれは、先人の努力の積み重ねなので「参照もしくは引用」を書くべきであろう。東沢周辺の沢、尾根のWeb記事を探してみると、数例ヒットするが、どうやらこの立石 ユイバシ沢とカル沢に挟まれた尾根の両沢の源頭部にあるようだ。初出は、丹沢の沢をくまなく跋渉しているホリさんこと「マシラの部屋」のWebに、この立石のことが書かれていた。(2002年)ユイバシ沢とカル沢の位置関係がガイドブックにより逆さまだったり、古文献では、まったく違った場所だったりしている。横浜山岳会の年報1号には、イイバシ沢との名前もあり、この沢が桧洞丸への登路との記載もある。イがヰとなりユとなってしまったのか?別の文献には、カル沢が登路との記載もある。昭和十数年の時からごちゃごちゃのようだ。この辺の整理も必要だが、現在流通している地図(エアリア丹沢)に沿った場所とするとユイバシ沢・カル沢両源頭部に跨った部分となる。この辺のユイバシ沢もカル沢も急峻で枝分かれしており上部は、複雑である。

<探索>

 カル沢もユイバシ沢も、遡行するのは、大変そうで、立岩がある尾根もヤブが酷そうである。それなら稜線からのクライムダウンで辿りつけないかと考えてみた。探すには、冬枯れの時期が一番見つけやすい。コースは、ツツジ新道から桧洞丸を経て熊笹の峰、大笄、小笄を経る東沢周辺周遊コース。12月1日双眼鏡を片手に尾根歩きをした。東沢を横切る地点で見上げると、桧洞丸周辺はガスの中でとても探せる状況では無い。大笄付近には、露岩が見え隠れするが立石は無いようだ。また出直しか!と思いつつ、ツツジ新道を登高。展望園地からは、やっとガスも晴れだした。双眼鏡で探すと、なんのことはない直ぐに見つかった。非常に大きい立石である。正面からみると、観音様が正立しているように見える。この大きさなら冬枯れの時期ではなくとも見つけられる。もっと小さいものだと思っていた。場所は、大笄と小笄の間、小笄からの急登を経てピーク2つめの東沢に面した斜面である。気をつけてみれば縦走路からは丸見えなのである。デジカメでは、倍率を上げてもボンヤリ写るだけだが、コントラストを上げてみるとはっきり観音様の立像とも思える。(モヤイ像と書かれているWebもあるが遠望すれば、観音様に見える。)ツツジ新道をぐるりと回り込んで歩くと、段々観音様の横顔が見えてくるが、それは単なる岩壁になってくる。桧洞丸、熊笹の峰を過ぎ目的の立石は、だんだん近づいてくる。縦走路からほんの数分で立石に到着し早速調査の開始である。縦走路からは丸見えだが、それと、説明がなければ単なる崖で終わってしまうだろう。

<尊佛岩>

観音様の頭に立つと遠く中川川の河原も白く輝いて見えるので、山に入らなくても下から遥拝することも可能だ。立石の基部がガレて沢に落ち込んでいるので、もの凄い高度感である。立石の上下左右を行ったり来たり、なるほど大きい岩である。のっぺりした一枚岩がせり出ている。高さは、25mくらいはある。塔ノ岳の尊仏岩は、相模風土寄稿では17m、でも実際に見た武田博士らの報告によると9m、それよりも高い。中川川東沢の前尊仏岩は、まさしくこの立石のことを指すのだろう。もう一つ気になる事柄がこの「ましらの部屋」に書かれていた。それはちょうど長方形に切り取ったような穴が、この立石のそばに開いているとのこと(マシラさん命名隠し金庫岩)。以前に東沢(玄倉)の丹沢鉱山跡で長方形に切り取られた坑道があり、この掘削の様式が戦国時代の坑道の掘削様式であることが分かっていたので、ひょっとしたら坑道?との期待もある。と山師根性がまた出てきてしまった。しかし、これは単なる岩の断層の隙間であり、どうみても坑道とは言えないしろものであった。

 「丹澤記」の吉田喜久治氏曰くイ(ユ)バシは斎(イ)場(バ)の意味かと?サンカの葬送は、風葬を行っていた。斎場とするとこの立石の上で風葬の儀式が行われたかもしれない。斎は「示」が祭祀の祭卓であり遠く富士山を望み、見晴らしは良く、それらしき雰囲気も漂っている。(福谷私見)またカル沢のツメには、「顕著な岩崖がある」とのこと。この立石を示しているのだろうか?

<尊仏岩の成因> 

この周辺の地質は、丹沢層にトーナル岩(以前は石英閃緑岩と言われていたが、組成から石製閃緑岩とトーナル岩に分類された)が入り組み隆起し、そしてトーナル岩側の東沢は、その脆さから切り立った崖になっている。このような立石の起源を考えてみると丹沢層に貫入したトーナル岩との境目周辺で多くの立石が見つかっているようだ。雨乞石、黒岩、東沢・玄倉の前尊仏岩、鬼ヶ石、塔ノ岳の尊仏岩すべてがそのような地域に位置する。この東沢の尊仏岩は、堆積岩のようだが、トーナル岩であったら脆く立石にはならなかったであろう。まだ見つかっていない未知の立石がトーナル岩と丹沢層の境目で見つかるかもしれない。







おわり

参考文献順不同

福谷豊治,2005:丹沢だより419~421、423号 玄倉の前尊仏様,丹沢自然保護協会

坂本光雄,1936:山と渓谷40号76~84, 丹澤・塔岳雜談,山と渓谷社

神奈川県庁山岳会,1996:エアリアマップ21丹沢,昭文社

ホリ,マシラの部屋http://homepage3.nifty.com/achkun/naka/higasi/higasi_4.htm 参照2008年1月

記事は、中川東沢の支流(ユイバシ沢とカル沢の中間の沢で丹沢の谷110ルートで「ユイバシ

沢」、日地地図で「カル沢」と称している沢

 イガイガ,イガイガの丹沢放浪記http://igaiga-50arashi.at.webry.info/200705/article_3.html参照2008年1月 記事は、コイワザクラ咲く尊仏岩跡と「尊仏祭」

吉田喜久治,1983:丹澤記,岳書房

横浜山岳会編,1932:年報1号 神の川と源頭の山々-附東澤(中川川)78-,横浜山岳会

横浜山岳会編,1958:年報3号 丹沢中川川研究,横浜山岳会

朋文堂編,1936:東京付近山の旅続編,朋文堂

(1)以下引用「拘留孫佛を勧請した塔ノ岳の孫佛岩に對して山麓各村に於ては前孫佛と崇めてそれぞれ神體を祀って里宮とされてをります。南麓秦野地方では三廻部村の観音院、戸川村の尊佛松、横野村の唐子明神社の三ヶ所とされ裏面玄倉方面では部落の背後に聳ゆる立間山の山腹に自然石の立岩が、恰も塔ノ岳に在った孫佛岩の様に現在でも玄倉川に面して障立して居ります。また中川の東澤にもこれと同じ態の岩があって尊佛と稱されていると昨年の正月箒澤部落を訪づれた時に聞きましたが之等は塔ノ岳の孫佛様と何か関係があったのではないかと思ひますが再考に俟ちます。


(2)以下引用「中川川の東澤にも尊佛岩と箒澤で呼ぶ巨石の峭立があるが云々」

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