西丹沢 東沢 丹沢鉱山下 実は坑道だった湧水口 内部調査報告 その他(動画あり)

 

湧水口(堆積物を取り除く前)

 だれもこの湧水口の奥に坑道が隠れているとは知らなかった。それも江戸時代に掘られた青盤切の形状で坑道があるとは… しかし内部に入ってみると丹沢鉱山主の三川氏が試掘した跡があった。

 昔 私が書いた丹沢自然保護協会の会誌「丹沢だより432号 2006/7」(モチコシ鉱山)の中に、この湧水口のことが書かれていた。(完全に忘れていた!!)                           

以下引用                                                                                      足柄之文化の記事の「信玄の金山」もうあきらめるしかないのか…さらに遡行して右岸の湧水口に到着 いつもの湧水口は、埋まらず滾々と湧き出ていた。ひょっとしたらここが坑道だったのか?と思いストックを最大限に伸ばし、奥を探ったら上方に向けてなんと肩まで入った。湧水口の奥行きは2m以上あると思われる。奥を覗いてみたが、とても坑道跡とは思えない                                      
引用終わり 

 この時調べていたら坑道が発見できたのだが、モチコシ鉱山(玄倉鉱山)を優先したため調査の時間を取らなかった。この時点で丹沢鉱山は見つけてなかった。丹沢鉱山を見つけたのは2006/9

いつもの湧水口 3月時点  だいぶ右側が削れて湧水口も大きくなっている

4月初め時点 両側を岩盤まで堆積土砂(真砂土)を除いた
上部危険のピンテを付けた

 今回、さらに調査を行うため坑道内部に溜まっている堆積物を、ある程度取り除き溜まっている湧水を排出させて水位を低下させて進入を行った。前回はヘルメット、メジャー、沢装備(水濡れ対策)を持ってなかった。長さを測るため細引きも追加した。


この堆積物を取り除く 木の根が絡み合ってなかなか崩れない自然の堤防

 入坑前の儀式 お神酒と昆布を捧げ、塩で清め、山神様に安全祈願を行うことを忘れてはならない。

鉱石の上に塩、右に昆布、お神酒


この奥の左に曲がっている先の切羽まで調査
岩盤を刳り貫いているので、相当時間が経っているのだが落盤の跡はない
東日本大震災にも関東大震災にも耐えてる 水は清明

 

本来の坑道の形(丹沢鉱山 側坑道)より引用
 この坑道の形から入口部分を観察すると湧水口の入口の坑道は半分以上埋まっているようだ。
 

 すくなくとも約70年は誰も入っていない。 果たして奥はどのようになっているのだろうか興味は尽きない。(中に入って気づいたのだが三川氏の試掘があった)

初めての入坑

入口の幅は約70㎝(2尺より若干長い)

一部を切り崩した。最初澄明であった湧水が濁り始め濁流となって出て来る

暫く放置すると水勢で脆弱な部分が自然に崩落してくる 大分水深は下がった

水の漏出を防ぐ木の根が露出してくる

木の根を取り除きさらに放置 湧水は濁ったまま

 水を抜いた水深は15㎝位 泥が溜まっている。天井から泥まで約80㎝と言うことは泥は
50㎝の深さ
だれも入っていない。泥に足跡がない。きれい泥が堆積している

この奥のカーブのところまで水があった

奥は青盤切りの坑道(江戸時代)が数十m続く
横70㎝ 縦130㎝



青盤切りを途中で中止した場所に出る
下を試掘して上を順番に切り崩して切削したようだ
右に曲がる


試掘跡をきれいに石で塞いだ場所に出る。少なくとも上からの落盤ではない
封印のようにしっかり塞いである。
ここから左が三川氏が掘った試掘跡となる

 
 匍匐前進 トロッコ用レールが1本だけある 右に曲がって更に左に曲がる

レールは、外そうと思ったが岩に噛んで外せなかった
ここから左が丹沢層との接触部になるようだ
丹沢鉱山の奥の大伽藍も左が丹沢層との接触部になる

左岩肌は、つるりとした感じ右岩肌はゴツゴツしている。
これが丹沢層との接触部かもしれない

さらに匍匐前進
左岩肌は、つるりとした感じ右岩肌はゴツゴツしている。
これが丹沢層との接触部かもしれない
この接触部に銅鉱石が生成される


この腐った木片が散乱している場所は人が立てる
天井部に大きな垂直に近い坑道がある
木片は足場であったのだろう


木片が散乱している上部 高さは10m位

腐った木片が散乱している場所の奥
水溜まりがある
その奥にさらに細い坑道がある。この先が切羽となっている




切羽についた

切羽は、人が立てる大きさ この坑口から這い出て切羽に立つ



切羽
長方形の影はiphoneの影
湧水が噴出

丹沢層との接触部に銅鉱石の脈がある
切羽から入口に向かう方向

拡大


2回目入坑
体が冷えたので一旦外部にでて温まる
ポリプロロープに5m置きにピンテを付けて約70m分を作製長さを測る
1回目と重複する箇所、前後する箇所があります。


水は澄明のように見えるが、汲んで放置すると微細な粘土が下に溜まる
大分右側が水勢で削れた
左の土砂の高さが水面であったところ

1回目通過した跡が水路になって水勢で周囲の粘土質を削りながら流れている
ここは、水面下であった場所

この粘土質の泥が曲者
沢着に付いていた泥で一緒に洗った衣類に微細な砂が付いてなかなか落ちない
家じゅうがざらざらしていて家人に怒られた

足が50㎝位潜る

両足が嵌って抜けない

坑道は上がり気味に続いている
この先まで水面下であったようだ

青盤切りの部分に出た。水流下は岩盤


ここから切羽から出口まで逆方向でピンテ5m置きに画像を取得

切羽 上部から湧水が噴出


この奥が切羽 まず5m開始点


この奥の坑道が切羽に続く


木片が散乱していた天井部の坑道

10m後退 左に木片 この部分は立てる
奥の坑道が切羽に向かっている

腐った木片が散乱 この水を今まで知らないで飲んでいた
番線も散乱

さらに15m後退 左に丹沢層の壁面
この辺は匍匐前進

さらに20mレールにぶつかる

レール脇の閉鎖された試掘跡 形状から察すると青盤切の掘削途中

拡大 丁寧に岩石が積み上げられている。落盤の跡ではない

更に25m後退 切羽方向 途中で青盤切を下部だけ切った場所

更に25m位置 出口方向 青盤切 横70㎝ 高さ130㎝

更に30m後退 青盤切 横70㎝ 高さ130㎝
既に丹沢鉱山の坑道長と同じ長さ

更に35m後退 泥の堆積が多くなる 青盤切 横70㎝ 高さ130㎝
泥の下は岩盤

更に40m後退 入口から辛うじて見える場所

更に45m後退 ほとんど入口に近づく

開始点50mで出口
開始点0mから切羽まで3mなので全長53mで確定

左側の掘削箇所に木の根、粘土、岩石、真砂土を入れて封鎖 元に戻す
溜まった湧水は濁ったまま

元の水面まで湧水が溜まった
溜まった湧水は濁ったまま

元の左側から流れるようにして原状復帰

湧水は、澄明のようだが汲んで放置すると微細な砂が沈殿する

看板を付けて撤退

看板に書いた注意点

注意点
 自然ダムを乗り越えて、もしくは崩して入坑した場合、湧水が濁って最後の水場としての用を足さなくなります。特に崩して入坑した場合 

以下の状態のまま放置しないで下さい。
木の根を取り除きさらに放置 湧水は濁ったまま

水流が両側の側面を削るのでいつまでも濁った湧水がでます
1回目通過した跡が水路になって水勢で周囲の粘土質を削りながら流れている
ここは、水面下であった場所


元の左側から流れるようにして原状復帰
 封鎖には細かい木の根が有効です。単に石を積んだだけでは水圧で水が流れ出てしまいます。左側は、細かい木の根があるため止水効果があり削れません。


必ず封鎖して湧水を完全に堰き止め 沈砂池とて坑道を機能するようにして下さい
元の水面まで湧水が溜まった

 湧水を堰き止めると、今まで流れた居た左側の流路を伝わって湧水が流れます。つまり沈砂した上澄だけが流れるようになります。(見た目は澄明です)

 但し内部には朽ちた木材やら番線などが沢山あり、本当の地下水の湧水とは言えない状態です。沢蟹(寄生虫の中間宿主)も住んでいます。ここを通るたびに今まで知らないで飲んでいました。はっきり言って汚染されています。煮沸消毒の必要性があります。知らないとは怖いものです。そばの沢水と同じです。

 丹沢だより No.409 pp.12-13 2004 には「丹沢今昔」を出版された奥野幸道氏の記事が載っている。そのものずばり 丹沢回想 武田信玄の金山 
以下引用  
 写真を整理していたら、坑道の排水口の写真が出て来てびっくり、写した期日が書いてないが東沢に間違いないので、信玄の伝説の坑道ではないかと資料を探したら、有った『足柄之文化』第2号1959年8月号の、「信玄の丹沢金山をたずねて」(加藤栄治・薮田義文)である。
 当時はあまり気にしていなかったので忘れていたが、ただ歩くだけでなく歴史にも興味を持っていたらと、今になっては残念に思っている。戦前、昭和16年には東沢の信玄の金山があったと言われる処を4回も通っている。当時ならばまだ坑道が残っていただろうに。戦後も15回もこの東沢を下降路にしている、なぜ気がつかなかったか。 中略 
 私が昭和32年9月にモチコシ沢を登った時に頂上に坑道があって工夫がネコを押して出て来るのに会った。何の採掘かと聞いたらウランだと言われた記憶がある(ブログ主注釈 玄倉鉱山 日本ウラン工業が採掘)のだが、夢を見ているようで、幻の彼方である。排水口の写真があるので、近くに坑道があれば気付くはずなのに、崩れてしまったのだろうか。(ブログ主注釈 丹沢鉱山のこと)
以上引用終わり

 この記事から奥野氏は丹沢鉱山を見ていない。丹沢鉱山の排水口と思った部分をを見ただけである。本当は三川氏が試掘を奥で行っていた。
丹沢だより No.409 記載の写真 以下引用

写真キャプションの文字
この時は、この湧水口改め鉱山口は見ていない
三川氏が採掘したしたのは戦後間もなくのころである

昭和30年代 1955年

写真キャプションの文字
引用終わり

 この記事の後、丹沢だより433号 丹沢の鉱山跡を探る 8 2006/9で私が丹沢鉱山の記事を協会誌に投稿した。その縁で奥野さんから丹沢だより409号の別刷りを送ってもらったり電話、手紙で色々な情報をやり取りしていた。

 さてこの奥野氏の東沢の鉱山排水口をよく見て頂きたい。下が今回堆積物(真砂土)を退かした湧水口

2023年

 同じものであることが判る。奥野氏も覗いてみれば坑道があったことがわかったであろうに。
 長い間に上部からの土砂が坑口を塞ぎ水勢があったので水の通り道は確保されていたことが伺い知れる。

動画リンク(順不同)



途中閉鎖坑道の脇を経由

最初の坑道が切羽へ向かう坑道、最後の坑道が入ってきた坑道

この前の動画で最初に見えた坑道を潜ると切羽に達する






丹沢鉱山と湧水口改め鉱山口の位置関係(推定)赤はGPSで歩いたコース



丹沢鉱山
飯場が置かれいたと思われる平坦な場所 丹沢鉱山は奥にある
いまは、ところどころ馬酔木が生えてしまった。
ここで一升瓶とかサイダーの瓶を過去に見つけた

看板が経たったので判読不能

新し看板に架け替え(内容は同じ)

トロッコ道がある丹沢鉱山入口

大伽藍入口から外をみる
右は長さ計測用のポリプロピレンロープ

涸沢と丹沢鉱山位置 涸沢の直ぐ脇を丹沢鉱山が通過している
試掘跡は、この上5m位の場所


奥野氏から頂いた新聞記事 
 モチコシ鉱山(玄倉鉱山)のことを書いているが、モチコシ鉱山は2つあるがこのような大きな切羽は無い。丹沢鉱山の奥には大伽藍の大きな切羽があるので写真だけ流用したかと思い再度大伽藍を調査した。右側面は丹沢層の部分と思われる

大伽藍
丹沢層境界部の岩肌この接触部に銅鉱石が産出される
右上が大伽藍へ続く坑道


中央下に坑道がある。そこから這い上がって内部に入る ロープが引き出されている
大伽藍内部から


ここから這い上がる

この上が坑道になっている


大伽藍天井部


この岩を乗り越えると側坑道に繋がる



側坑道 コウモリ多し


 奥野氏から頂いた新聞記事の写真とは違う場所と思われる。ということは写真の切羽は玄倉鉱山の閉鎖された坑道か、もしくはもう一つ坑道があることになる。 裸山丸周辺に鉱山道があるとマシラさんの記事で読んだので鉱山道らしきものを追ったが坑口は見つからなかった。
 この鉱山道らしきものは、裸山丸を巻いて作られており鉱石を運びだす経路だった可能性もある。

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 また、側坑道にはコウモリが住んでいます。コウモリは色々なウイルスの中間宿主となります。新型コロナウイルスもコウモリが宿主だと言われています。丹沢のコウモリにウイルスがいるかどうかの疫学調査は行われておりません。注意するに越したことはありません。

 この記事に書かれている場所は、登山地図では赤破線で示されている難路や地図に記載のない経路を辿って行きます。

 この記事を参考にして行動した結果、想定できるリスク・想定できなかったリスクにより、あなたの生命に危険を及ぼす事象が発生する可能性があります。
 事故に遭われても、一切責任を負えませんので個々の方々の技量、判断、責任で安全な山歩きをお願いします。




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