丹沢の水力発電所を探る 6 過去に頓挫した発電所計画

過去に頓挫した発電所計画

揚水発電所

昭和44年12月に提出された山北町からの「酒匂川総合開発計画、酒匂ダム建設についての要望書」には大規模発電所建設計画の強い要求項目があった。
 
三保ダム(酒匂ダム)建設を行っていた県は、電源開発株式会社と東京電力に対して三保ダムを下池として利用する揚水発電所建設の要請を行い各社は調査を開始した。
 
電源開発株式会社
 
 
大杉山中腹の台地に掘り込み式上池を設ける。
有効貯水量240万㎡
基準有効落差490m
最大使用水量1103/
最大出力45万kW
発電所形式 地下式
電源開発社は、航空測量結果を基にして検討したがディスク・プラン段階で実施不可能と判断した。
 
大杉山の標高が861mそこから490mを引くと370mとなり現在の丹沢湖の水面標高近くなる。と言うことは大杉山から戸沢ノ頭にかけての部分にダム湖が出現したことになる。
 

東京電力株式会社
 
大又沢中流の地蔵平地点にダム高約120mのセンターコア型ロックフィルダムを構築。
有効貯水量2,000万㎡
基準有効落差350m
最大使用水量3003/
最大出力90万kW
発電所形式 地下式
 
昭和44年から昭和49年に至る間に
ボーリング92孔・5,500m
横孔23孔・2,200m
を掘り地質調査を行った。
地蔵平の上池については、築造可能との結論に達したが、発電所本体を収める幅26m高さ52m長さ78mの地下大空間に適する地下岩盤は、上池付近下池付近にも見当たらず、下池はさらに水中発電所の検討を行ったが、丹沢の岩盤が悪いため断念した。
技術的見地から揚水発電所の計画は放棄された。これがWikipediaの三保ダムの項目に出てくる「神尾田ダム」の全貌である。
 
首都圏に近いところに90万kWの揚水ダムの建設。これは東電にとっても魅力的なダムであったであろう。計画は断念されたが、それは昭和40年代の技術的見地からであり、平成26年度の技術的見地からみたら可能であろうか? 実は神奈川県には、柏崎刈谷原発から送電されくる500kV送電線が西群馬開閉所経由で西群馬幹線として新富士変電所に繋がり新秦野変電所から東京外輪の500kV送電網と接続されている。(西群馬幹線の一部は1,000kV対応)
この西群馬幹線。途中に神流川の揚水発電所と葛野川の揚水発電所が接続されている。原子力発電所は、常時一定の出力の発電を行うことが得意であり、夜間は電力が余る。揚水発電所は、電力使用量がピーク時発電を行い、夜間に発電機を逆に回転させポンプとして下池に放出した水を揚水して上池に貯める。原子力発電所と揚水発電所はペアで運用することで効率的に電力を生み出す。しかしながら現在のところ柏崎刈谷原発は停止しており、葛野川発電所は、4台の水車発電機を設置し、最大160万kWの出力を得るものとして計画されたが80万kWで増設は止まっている。また神流川の揚水発電所も6台の発電所で、最大282万kWの出力を得るものとして計画されたが現状は94万kWで増設は止まっている。この点から考えると三保ダムに新たな揚水発電所を再検討することは考えられない。
西群馬開閉所からは、先に述べた西群馬幹線のほかに新榛名幹線が伸びており新秩父開閉所で安曇幹線と繋がる。安曇幹線には揚水発電所の高瀬発電所128万kwが繋がり、また東西の電力の融通のための新信濃周波数変換所が設けられている。ここには将来的に東京中部間直流幹線(仮称)90万kWが計画されており、新信濃、佐久間、東清水、東京中部間直流幹線、各変換所で東西間の連系は210万kWまで融通できるようになる。(原子力発電所 約2基分)
新秩父開閉所からは、新多摩変電所と繋がり先の新秦野変電所起点の500kV外輪送電網が形成されている。福島原発が廃炉になった今、西方面の新富士、新秦野、新多摩変電所は重要な位置を占める。西群馬開閉所からは、新たに建設中の西上武幹線が新所沢変電所に繋がり新多摩変電所からの外輪線の強化を行っている。西群馬開閉所は、刈谷柏崎原発が再稼働した際の重要な施設となる。東京の外輪500kV送電網から都内への500kV送電は、新京葉変電所から新豊洲線として新豊洲変電所に繋がっている。つまり新秦野から東京を半周して都内に引き込まれている。
 
 
参考資料
三保ダム建設工事誌 1981年 神奈川県企業庁管理局三保事務所
東京電力 系統情報 275kV以上 基幹系
 
 

 

 

コメント

MASAHIKO さんのコメント…
◯福さん、ご無沙汰しております
ブログ再開、心待ちにしておりました

玄倉の水力発電所の記事
まさに、モヤモヤしていた所が一気に晴れる思いです

電気関係は詳しくは有りませんが
惹きつけられるように一気に読まさせて頂きました
この写真はあそこだ・・
あの建物はそんな役割があったのか・・
あの電線は・・・あの鉄塔は・・

これから玄倉林道を歩く時は、今まで以上に
時間が掛かるんじゃないかと心配しています
それほど興味が尽きないエリアです

お陰様で今後の課題も山盛りです

◯福さん、これからもいろいろな情報を
発信していってください、楽しみにしています
〇福 さんの投稿…
見て頂きありがとうございます。2014年ブログの再開をしました。資料はあったのですが、現地確認をしないと書けない部分もあり、足慣らしとして玄倉林道を選びました。玄倉水力発電の網羅的記事がWebをさがしても見つからなかったので、資料を基に一気に書き上げました。MASAHIKOさんの記事も文中に引用させて頂きました。これからもよろしくお願いします。丹沢以外に2つブログを抱えているので、更新の頻度は多くありませんが資料が集まりましたらUpしたいと考えてます。

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