丹沢の鉱山跡を探る エピローグ 18 丹沢だより443号 2007/7
丹沢の鉱山跡を探る 18 10.エピローグ 丹沢のことをもっと知りたい!と丹沢関係の書籍を以前から買い集めていた。それらの、古い丹沢開拓期の本を読むと現在との違いも判り、はたして今どうなっているかを探りたくなった。最初は、前尊仏様を取り上げてみた。結構うまく調べられて、実際の玄倉 前尊仏様・塔ノ岳の尊仏岩跡にもお目にかかれることができた。次は何を調べようかと考えた先に、丹沢の鉱山があった。しかし鉱山の稼動は、自然破壊の最たるものである。 母なる大地を穿つ穴。古くは足尾銅山の鉱毒事件などがある。はたして自然保護協会誌に投稿して良いものだろかと迷った。しかしながら、鉱物の恩恵を我々がこうむっていることは確かだし、まだ、だれも手を付けてない事項でもある。深山の奥に打ち捨てられた廃坑があることなぞ、ちょっぴりロマンを感じてしまう。迷った理由はもう一つあり、実際に探し出すことができるかが判らなかった。地質学など手に染めたこともなく、ゼロからの出発であった。Webで情報を収集すると神奈川県は、鉱山の空白地帯ということで、鉱山は無いと言うのがもっぱらの見解だった。 最初の鉱山(渋沢・大日・砥石)は、お馴染であったので簡単に探れた。当初は、この三箇所で終わりにするはずであった。東沢の信玄金山の跡については、伝承であろうと信じてはいなかった。この過程で平塚博物館発行「自然と文化」の神奈川県内産の鉱物の記事にぶつかった。ここには丹沢の鉱山が10箇所紹介されていた。「丹沢にも鉱山があったんだ!」と言うのが当初の認識だった。 なかなか見つけられなかったのが、玄倉・東沢源頭部の丹沢鉱山(信玄時代の金山と言われていた)だった。これを探し当てた途端、その後は、向こうから呼びかけてくるようになった。坑道に潜んで待ち構えていた何かが、取り憑いたのか?「こっちだよー、こっちだよー」とあったと言われている場所に近づくと、吸い寄せられるように見つかった。とうとう鉱産誌のバイブル・日本鉱産誌に書かれていた丹沢の鉱山と、それを引用して書かれた平塚博物館が刊行している「自然と文化」に網羅されていた丹沢の鉱山を全て探ることができた。また玄倉銅山と思われる坑道も見つけられた。そして金山澤鉱山は、奥野氏からの情報で調べることができた。 丹沢の地形・地質は、第三紀中新世...